8月の午後

grenada2007-08-23

実家に帰ってきてからは煙草を止め、お酒を飲んだ時に吸うぐらいになっていたのだけど、先日大きなイライラに苛まれ久々に自宅で喫煙したところ飛躍的に学習の効率が上がった*1ため、復活してしまった。部屋が煙草臭くなるし、ついつい吸い過ぎてしまうので、なるべく外に出て吸うようにしている。様々なガラクタが運び込まれ半ば物置と化してしまっているガレージにて。
思えばこの位置から家を眺めることは、大人になってからそうなかった。幼い頃はこのあたりに砂遊び用のスコップやバケツが置いてあったことを思い出す。勝手口の側にある井戸で、祖母に水の汲み方を教えてもらったこともあった。まだ幼く小さかった私の力では、いくらポンプのレバーをがちゃがちゃ動かしたところで少しも水は出てこなかった。祖母の手にかかると、透明でひんやりとした水がみるみる溢れてきて、何か不思議な気持ちでそれを眺めていたのだった。あの頃力強く思えた祖母の腕は、大人になった今の私よりもずっと細くか弱いものだったんだろう。
ラクタの中には、何か見覚えのあるような、でも使い途のわからないようなものがいくつか転がっている。こういった触媒に触れることもなく、掬いあげることを試みられすらしない記憶が膨大にあるのだろう。そしてこうしている間にも一つまた一つと深いところに沈んでいってしまうんだろう。

*1:と思ったのも最初だけで、本数が増える毎に効果が薄くなっているような気がする。